1986-03-07 第104回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号
○中西(績)分科員 この問題はただ単に同和教育という側面だけでなしに、この同じ九ページを見ていただくと、新藤兼人さんが「なぜ、なぜ、なぜ」ということで書かれています。そこに 白い壁に、スプレーで書かれた文字、誰が書いたのか、書かしたのか。電柱に書かれた文字は、部落民は生きている資格がない……と。また地下の壁には、えたを甲子園へ集めて射殺せよ、と。 なぜ、なぜ、なぜ。
○中西(績)分科員 この問題はただ単に同和教育という側面だけでなしに、この同じ九ページを見ていただくと、新藤兼人さんが「なぜ、なぜ、なぜ」ということで書かれています。そこに 白い壁に、スプレーで書かれた文字、誰が書いたのか、書かしたのか。電柱に書かれた文字は、部落民は生きている資格がない……と。また地下の壁には、えたを甲子園へ集めて射殺せよ、と。 なぜ、なぜ、なぜ。
本日の議事は、まず、元議員松澤兼人君逝去につき哀悼の件でございます。議長から、既に弔詞を贈呈した旨を御報告した後、その弔詞を朗読されます。その際、一同側起立をお願いいたします。 次に、日程第一国務大臣の報告に関する件でございまして、中曽根内閣総理大臣から帰国報告がございます。これに対する質疑は、次会に譲ることを異議の有無をもってお諮りいたしまして本日の議事を終わります。
昭和五十九年六月十五日(金曜日) 午後一時三十三分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第十七号 昭和五十九年六月十五日 午後一時三十分開議 第一 国務大臣の報告に関する件(内閣総理大 臣の帰国報告) ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、故元議員松澤兼人君に対し弔詞贈呈の件 以下 議事日程のとおり —————・————
さきに院議をもって永年在職議員として表彰されました元議員松澤兼人君は、去る五月二十三日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、既に弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。
私は、実はこれらの事件の背景といいますか根源というのは、やはり根源を剔抉してそれに対応していかなければ根絶することはむずかしいんではないかという考え方を持っておりますが、たまたませんだって新聞に、宮城教育大学助教授の投書と、さらにまた映画監督で有名な新藤兼人さんの投書が載っておりましたけれども、それを拝見をいたしますと、「校内暴力の底にあるもの」ということで、「彼らが憎悪する相手は、自分の目の前で、
これは十二チャンネルに乗っかるわけだったのですが、脚本は新藤兼人氏でありまして、監督の神山征二郎という人が演出をすることになっているわけであります。これは私の郷里の吉野せいさんという人が書いた「洟をたらした神」という著作の映画化なのです。 概略申し上げますと、一月の下旬に新藤兼人さんが吉野さんのところを訪問いたしまして、そこで脚本の第一稿を見せたのです。
東京都の今回の貸し出し中止事件については、今井正、山本薩夫、山田洋次、五所平之助、新藤兼人、家城巳代治氏ら十一名の映画監督が抗議声明を発表しております。行政の公平、さらに表現の自由、芸術作品鑑賞の自由に対するこの重大な侵害事件について、文部大臣の見解をお聞きしたいと思います。
国会議員として二十四年の長きにわたり在職せられました森八三一君、松澤兼人君、中山福蔵二君、杉原荒太君、田中一君、古池信三君、成瀬幡治君、田口長治郎君、足鹿覺君、故木檜三四郎君、故井上知治君に対し、院議をもってその永年の功労を表彰することとし、表彰文及び表彰状の贈呈方は議長に一任せられたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
鈴木 省吾君 亀田 得治君 中尾 辰義君 委 員 赤間 文三君 江藤 智君 久次米健太郎君 剱木 亨弘君 後藤 義隆君 松澤 兼人君
昭和四十六年五月二十四日(月曜日) 午前十一時五十一分開会 ————————————— 委員の異動 三月三十日 辞任 補欠選任 星野 重次君 八田 一朗君 玉置 猛夫君 稲嶺 一郎君 四月二日 辞任 補欠選任 秋山 長造君 上田 哲君 松澤 兼人君 鈴木
○松澤兼人君 そうすると、最高裁の裁判官として地方の裁判状況の視察、懇談というような席で発言されることは、全くその裁判官の個人的な意見と考えていいのですか。
○松澤兼人君 それは人事局長がその職責上言えないということでなく、最高裁全体としてその理由は言えないということでしょう。
昭和四十六年五月七日(金曜日) 午前十時二十七分開会 ————————————— 委員の異動 四月十九日 辞任 補欠選任 初村瀧一郎君 横山 フク君 四月二十一日 辞任 補欠選任 武内 五郎君 野上 元君 鈴木 強君 沢田 政治君 永岡 光治君 松澤 兼人君
昭和四十六年四月十七日(土曜日) 午前十時十六分開会 ————————————— 委員の異動 四月十七日 辞任 補欠選任 横山 フク君 初村瀧一郎君 松澤 兼人君 永岡 光治君 ————————————— 出席者は左のとおり。
本日、横山フク君及び松澤兼人君が委員を辞任され、その補欠として、初村瀧一郎君及び永岡光治君がそれぞれ選任されました。 —————————————
昭和四十六年三月二十九日(月曜日) 午前十時六分開会 ————————————— 委員の異動 三月二十九日 辞任 補欠選任 上田 哲君 松澤 兼人君 大矢 正君 秋山 長造君 ————————————— 出席者は左のとおり。
村田 秀三君 川村 清一君 田中寿美子君 松井 誠君 吉田忠三郎君 松本 賢一君 佐野 芳雄君 松永 忠二君 小柳 勇君 北村 暢君 横川 正市君 矢山 有作君 久保 等君 岡 三郎君 永岡 光治君 藤田 進君 亀田 得治君 松澤 兼人君
鈴木 省吾君 亀田 得治君 中尾 辰義君 委 員 上田 稔君 江藤 智君 木島 義夫君 久次米健太郎君 渡辺一太郎君 松澤 兼人君
憲一君 理 事 後藤 義隆君 鈴木 省吾君 中尾 辰義君 委 員 井野 碩哉君 江藤 智君 久次米健太郎君 田中寿美子君 松澤 兼人君
○松澤兼人君 法務省が直接に調査されたということはあるんですか。
○松澤兼人君 それはいつごろから始まっておるのですか。
昭和四十六年三月十一日(木曜日) 午前十時二十分開会 ————————————— 委員の異動 二月二十四日 辞任 補欠選任 安永 英雄君 松澤 兼人君 二月二十六日 辞任 補欠選任 西田 信一君 奥村 悦造君 三月一日 辞任 補欠選任 奥村 悦造君
○松澤兼人君 どうもそこら辺のところに、亀田君も、中にも連絡をとっておる人があるのじゃないかという疑問が生じてくるわけです。窓からしのび込んだとしても、かぎを締めたということは先ほど報告になかったです、あけたということはありますけれども。
○松澤兼人君 そうすると、大きなドアみたいなものでなくて、小さなガラス戸の、いわばねじ込みのかぎ、それをあけて、そこから入ったということなんですか。
昭和四十六年二月二十五日(木曜日) 午前十時七分開会 ————————————— 委員の異動 二月十九日 辞任 補欠選任 矢野 登君 中村喜四郎君 長屋 茂君 永野 鎮雄君 浅井 亨君 柏原 ヤス君 二月二十三日 辞任 補欠選任 安永 英雄君 松澤 兼人君
また、二月二十三日、安永英雄君が委員を辞任され、その補欠として松澤兼人君が、同月二十四日、松澤兼人君が委員を辞任され、その補欠として安永英雄君が、それぞれ選任されました。 —————————————
浅井 亨君 中尾 辰義君 二月十八日 辞任 補欠選任 木島 義夫君 平泉 渉君 二月十九日 辞任 補欠選任 平泉 渉君 木島 義夫君 菅野 儀作君 小林 武治君 山崎 竜男君 西田 信一君 二月二十三日 辞任 補欠選任 松澤 兼人君